ベルリオーズ,ルイ・エクトル  〔仏〕
(1803.12.11 〜 1869.03.08)  65歳

          【 幻想交響曲 作品14a 】
          【「レリオ」作品14b 】
          【 葬送と勝利の大交響曲 作品15 】
          【 交響曲「イタリアのハロルド」作品16 】
          【 劇的交響曲「ロミオとジュリエット」作品17 】
          【 序曲「ローマの謝肉祭」作品9 】
          【 序曲「海賊」作品21 】
          【 歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲作品23 】
          【 劇的物語「ファウストの刧罰」作品24 】
          【 オラトリオ「キリストの幼時」作品25 】
      





《 標題音楽 》

【 幻想交響曲作品14a 】

 ベルリオーズは、フランス南部の田舎町で、医師の父親の
長男として生まれた。
音楽は父のフルートで独習し、一般教育も父の手によって
なされたので、学校には行かなかった。

父親が地方の名家の医師ということもあって、18歳のときに、
大学入学資格試験に合格し、パリで医学を学んでいたが、
オペラに夢中になり、音楽家にな ろうと、独学で音楽の勉強を始めた。

後にパリ音楽院でオペラと作曲を学んだが、在学中に
有名な女優ハリエット・スミッソンに心を奪われた。
無名の貧しい学生の彼を相手にはしてもらえず、そのときは、
一方的な片思いに終わってしまった。

しかし、絶望的な恋は創作力への刺激となって働き、愛の想いを、
惨じめさを、恨みを、呻きを一つの交響曲に塗りこめ、
3年後に生まれた作品が「幻想交響曲」 と
抒情的モノドラマ「レリオ、または生への回帰」だった。

* 病的な感受性と、激しい想像力をもった若い芸術家が恋の
悩みから絶望して阿片による自殺をはかるが、服用量が
少なすぎて死に至らず、昏睡に陥って奇怪な幻想をみる *

この交響曲の曲頭の説明文に書かれたもので、異常性格的な
内容ともいえるが、全楽章のある場面で優しいきれいな旋律が
流れてくるとホッとさせられるものがある。

こうしてベルリオーズは、〈標題音楽〉という新しい音楽のジャンルを
作り出し、音楽史のなかで特異な地位をしめることになった。


30歳のときに両親の反対にもかかわらずベルリオーズと
ハリエット・スミッソンは結婚をした。
そのときの立ち会い人の1人が、すでに有名だった
リスト(1811?1886)で、ベルリオーズに寄せる友情は厚く、
その後にも経済的な援助も惜しまなかった。

リストの「ピアノ協奏曲第1番」の初演は、ベルリオーズの指揮、
リストのピアノ独奏で行なわれている。

しかし、ハリエットとの結婚生活は長くは続かず、7年後には
別居をし、国外の演奏旅行には、歌手のマリー・レチオを
伴うようになり、ハリエットの死後に彼女と再婚した。

1854年にハリエットの死、その8年後にマリーの死、
さらに5年後にハリエットとの間の子どものルイが死に、
ベルリオーズは孤独感をつのらせた。

リストの好意で行なわれたオーストリア、ドイツ、ロシアの
演奏旅行が最後となり、波瀾の多い一生を送った
ベルリオーズは、1869年3月8日苦悩に満ちた65年の生涯を閉じ、
マンモルトル墓地で、二人の妻と共に長い眠りについている。




《 抒情的モノドラマ 》

【「レリオ」作品14bis 】

ベルリオーズが有名な女優のハリエット・スミッソンに心を奪われ、
絶望的な恋が、創作力への刺激となって働き、3年後に
生まれたのが「幻想交響曲」だった。

この作品は「ある芸術家の生涯の挿話」という2部作の第1部である。
1832年に作曲したのが続編の第2部の
抒情的モノドラマ「レリオ、または生への回帰」で、俳優、独唱、合唱、
ピアノ、オーケストラの編成になっている。

主人公レリオはベルリオーズ自身で、この曲の中心となるのは
レリオの独白である。
この役どころは歌手ではなくて、優れた俳優が演ずるよう指定している。




《 記念式典曲 》

【 葬送と勝利の大交響曲 作品15 】

ベルリオーズは、交響曲は4曲作曲している。

幻想交響曲 作品14 (1830年)
ヴィオラ独奏付き交響曲「イタリアのハロルド」作品16 (1834年)
劇的交響曲「ロミオとジュリエット」作品17 (1839年)
葬送と勝利の大交響曲 作品15 (1840年)

最後に書いた「葬送と勝利の大交響曲」は、1840年に
「7月革命10周年記念式典」がパスティーユ広場で
催されるため、政府の内務大臣に依頼されて書いたもので、
大編成の軍楽隊(吹奏楽)によって、野外で演奏するために書かれた。

第3楽章の最後には合唱が加わり、高らかに讃歌が歌われる。

第1楽章 「葬送行進曲」        
             Moderato un poco lento           
    
第2楽章 「追悼」           
            Adagio non tanto-Andantino-       
             Andantino poco lento sostenuto       
    
第3楽章 「アポテオーズ」(栄光の讃歌)
             Allegro non troppo pomposo         




《 自叙伝 》

【 交響曲「イタリアのハロルド」作品16 】

ビオラ独奏つき交響曲「イタリアのハロルド」は、31歳のときの作品で、
前年に出世作の「幻想交響曲」が初演され、成功をおさめていたが、
その後の代表作となった。

はじめこの作品は、パガニーニが手に入れたストラディヴァリウスの
素晴らしいビオラを使った曲にと委嘱したものだった。
しかし、第1楽章を見たパガニーニは不満だったため、
ベルリオーズは標題的な内容をもった作品にしてしまった。

バイロンの長篇詩「チャイルド・ハロルド」のような哀愁的な
追想にふける物語りを展開しようとして、独奏ビオラを、
主人公の夢幻者に見立てた。

曲は4楽章からなり、ビオラの独奏にハロルドをあらわす主題が
現れるが、これは全曲中に変形して用いられている。
「幻想交響曲」の愛人の主題と同じように、「固定楽想」と呼ばれる。

「幻想交響曲」も「イタリアのハロルド」も彼の自叙伝で、
自意識過剰な彼の性格がよくあらわれている。

第1楽章 山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面 
第2楽章 夕べの祈祷を歌う巡礼の行進         
第3楽章 アプルッチの山人がその愛人によせるセレナード
第4楽章 山賊の饗宴、前景の追想           

1834年11月23日パリ音楽院ホールで、ユランのビオラ、
ジラールの指揮により初演された。
当日は、文学者のユゴー、デュマ、ハイネや音楽仲間の
リスト、ショパンなどが訪れた。




《 劇的交響曲 》

【 劇的交響曲「ロミオとジュリエット」作品17 】

「幻想交響曲」を書いてから10年ほど後に書いたのが劇的交響曲
「ロメオとジュリエット」で、ベルリオーズ36歳のときだった。

彼の美学を作品の上に主張したこの作品のタイトルには、
「シェイクスピアの悲劇による合唱、独唱、および合唱による
レチタティーヴォのプロローグつき劇的交響曲」と書いている。

曲は交響曲だが、独唱、合唱を含み、それに巨大な管弦楽の
表現力を動員して「ロミオとジュリエット」の悲劇を
交響曲的に表現している。

全曲は90分を超える大きなもので、4つの部分に分かれ
それがさらにいくつかの部分に細かく分かれていて、
それぞれに標題があたえられている。

叙事的性格を強め、また夢幻的情緒をさらに強く
表出しようと試みている。
歌詞ははじめベルリオーズ自身が散文で書いたものを
エミール・デシャンが韻文に書き改めたものが用いられている。

1839年11月24日にコンセルヴァトアールのホールで
作曲者自身の指揮により、200人の演奏者によって初演された。
曲は、この曲を書く勇気を彼に与えたパガニーニに捧げられたが、
パガニーニはその翌年の1840年、この作品のスコアを
見ることなく他界してしまった。




《 試みの序曲 》

【 序曲「ローマの謝肉祭」作品9 】

パリ音楽院で、オペラと作曲を学んだベルリオーズは、
1830年にローマ大賞を受賞して賞金を得、ローマに留学した。

「ローマの謝肉祭」は、34歳のときに作曲した
歌劇「ヴェンヴェヌート・チェリーニ」の第2幕の序曲として発表した。
天才彫刻家のヴェンヴェヌート・チェリーニを題材とした作品だが、
初演は失敗に終わった。

一般には受け入れられなかった作品だったが、バイオリンの名手の
パガニーニは感激し、経済的に破滅の一歩手前だった
ベルリオーズに2万フランを贈り、創作を励ましたといわれる。

一般に歌劇では、第1幕の前に大きな序曲を置き、各幕間の前には、
それぞれ短い前奏曲が演奏されるのが普通であるが、ベルリオーズは
第2幕の前に大きな序曲を、珍しくかつ興味ある試みとして作曲した。

この序曲は非常にすぐれていたため、後に独立して
序曲「ローマの謝肉祭」として、管弦楽演奏会のプログラムに
加えられるようになった。

この曲は、第1幕の最後の場面に使われたイタリアの郷土舞踊
「サルタレロ」を中心の主題として書かれた、大変華麗なものである。




《 ニースの塔 》

【 序曲「海賊」作品21 】

ローマに留学中、地中海に面したフランスの保養地ニースに
滞在したときに、海峡で嵐に遭い、かつて熟読したバイロンの
ドラマティックな物語詩「海賊」の擬似体験をしたことから
作曲が進められたのが序曲「海賊」だが、
最初は「ニースの塔」と名付けられていた。

1845に初演されたが、その後数回にわたって改作が行なわれ、
24年後の1855年に最後の改作版が出版された。

曲は3つの主題と1つのエピソードからなっているが、
躍動的なリズムが特徴的で、個性的で華麗な音楽である。




《序曲の傑作》

【 歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲 作品23 】

チェルリーニの自叙伝に基づき1837年に作られた、
歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」は、2時間30分、2幕6場の
オペラで、翌年パリのオペラ座で初演されたものの失敗だった。

そのことは、ベルリオーズのその後の生涯に大きな陰影を
投げかけたが、この序曲はその後、彼の序曲中の傑作として、
音楽史古今を通じての序曲中の最高のものの一つとして、
演奏会でよく演奏される作品である。

初演の後、数回にわたり改修されて1856年に決定稿が出版された。




《 劇的物語 》

【 劇的物語「ファウストの刧罰」作品24 】

ドイツ古典派最高の詩人であるゲーテは、フランクフルトで
生まれ、一生の大部分を小国家・ヴァイマル公国の君主
カール・アウグストの相談役として過ごした。

代表作には小説「若きウェルテルの悩み」
「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」、自伝「詩と真実」
などがあるが、中でも最も重要な作品は、ゲーテの生涯のほとんどを
費やして書かれた大作の戯曲「ファウスト」で、十五世紀の
ドイツに実在した“ファウスト”という詐欺師の伝説を元にしている。

ファウストは、占星術や錬金術、かつまた魔術や霊媒術を駆使すると
自称し、生きているうちからさまざまな噂や風聞に包まれていた。
ゲーテは、この伝承に強烈な印象をもち、さまざまな場面や
エピソードを追加して長大な戯曲に仕立てた。

あらゆることを知り尽くしたいと願うファウストは、人間の
有限性ゆえにそれが出来ず、ついには悪魔メフィスト・フェレスと
契約を結び、悪を重ねながら世界と宇宙の隅々まで巡り歩き、
最後には地獄に落ちるという物語である。

ゲーテ,ヴォルフガング・フォン 〔独〕
(1749.08.28?1832.03.22) 82歳

彼の作品は多くの作曲家によって、オペラ化されたり劇音楽や
歌曲として作曲されている。
ゲーテの崇拝者だったベルリオーズは25歳のときに
「ファウストの入場」を作曲している。

そして、17年後に再び「ファウスト」を作曲する意欲にかられ、
原作よりかなり自由に、また自ら創作した歌詞を含むフランス語の
台本によって、翌年に「ファウストの刧罰」を完成させた。
この曲の真価が認められたのは、彼の死後8年も経てからだった。

合唱・独唱に大規模なオーケストラを伴う。
歌劇は、舞台装置や衣装、演技などをもっているが、
この劇的物語はこれらは有しない。
しかし、歌劇として上演されることもある。

全4部から出来ていて、この劇音楽中、管弦楽のみで演奏される
「ハンガリー行進曲(ラコッチ行進曲)」「妖精の踊り」、
「鬼火のメヌエット」は、組曲として、しばしば演奏会で奏される。




《 聖三部劇 》

【 オラトリオ「キリストの幼時」作品25 】

聖三部劇と名付けられ、3つの部分からなる「キリストの幼時」は、
マタイ伝福音書第2章の、ヘデロ王の幼児大虐殺と聖家族の
避難を題材としていて、ベルリオーズ自ら作詞をしている。

登場人物=語り手、マリア、ヨゼフ、ヘデロ王、工匠の実父、混声合唱。

第1部 ヘデロの夢   
第2部 エジプトへの避難
第3部 サイスへの到着 

1854年に完成し、その年の12月にパリで
ベルリオーズの指揮で初演され、絶賛を博した。