グリーグ,エドヴァルト・ハーゲループ  〔ノルウェイ〕
(1843.06.15 〜 1907.09.04)   64歳

              【 ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 】
              【「悲しき旋律」作品34 】
              【 ホルベルク組曲 作品40 】
              【 組曲「ペール・ギュント」作品46】
              【 ソルベイグの歌 】
              【 抒情組曲 作品54より 】
              【 弦楽四重奏曲 ト短調 作品27 】
              【 バイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 作品45 】
              【 チェロ・ソナタ イ短調 作品36 】         
              【 ノルウェー舞曲 作品35 】





《 自然のなかで 》

【 ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 】

スコットランド系の血をひき、十八世紀半ばにノルウェーに
移り住んだといわれる家柄のグリーグはベルゲンで生まれた。

ピアニストの母親から手ほどきを受け、
15歳でドイツのライプツィヒ音楽院に留学した。
ドイツ様式の作曲法や理論をみっちり学び、19歳で卒業し、
祖国ノルウェーの生地でピアニスト、作曲家としてデビューした。

しかし、その後はノルウェー人の感情や語法を独自の音楽に作り上げ、
雄々しくおおらかな迫力の中に、細やかな叙情性をたたえた、
ノルウェーならではの音楽を目指した。

ノルウェーを代表するロマン的国民音楽の作曲家であり、
ピアノ奏者だったグリーグは「北欧のショパン」とも、
コペンハーゲンで学んでいたときは
「デンマークのメンデルスゾーン」とも言われていた。

24歳で結婚した相愛の従妹のニーナは、優れた声楽家で、
家庭的にも音楽的にもグリークの好伴侶となり数多くの叙情的な
歌曲の紹介者ともなった。

グリーグのピアノ協奏曲は「イ短調」1曲だけだが、
組曲「ペール・ギュント」とともに、彼の不朽の名曲として愛されている。

ニーナと結婚をし長女も生まれ、幸せな生活のなかで作曲された
この曲は、ノルウェー民謡風の清純な旋律、新鮮な和声、
軽妙なリズムなど、素材がみずみずしく生気溌溂とした
若い情熱がほとばしっている。

3楽章からなる協奏曲だが、第2、第3楽章は続けて演奏される。
北欧の大自然・・・うっそうたる森林・・・
そびえたつ山岳に培われた新鮮で色合い深い情調をたたえている。

27歳のときローマに旅行した折、当時59歳のリストに面会しているが、
グリーグが持参したこの協奏曲の楽譜を、リストは所見で演奏し、
絶賛して、グリールを激励したと言われている。




《 ホルベアの時代より 》

【 ホルベルク組曲 作品40 】

「ホルベルク組曲」は、近世デンマークおよびノルウェー文学の
創始者で劇作家のルードヴィヒ・ホルベルグ(1684?1754)の
生誕200年祭を記念するために書かれたものである。

ホルベルグ(ホルベア)男爵は、18世紀前半にコペンハーゲンで活躍し、
デンマーク文学の父とも呼ばれるグリーグと同じノルウェーの
ベルゲン出身で、芸術文化に理解の深かったデンマーク国王
フレデリック五世の庇護を受けながら、大学教授を勤める傍ら、
数々の戯曲を発表し、晩年には私財をなげうって文芸を振興し
人々からの敬愛を受けた。

「ホルベルク組曲」は「ホルベアの時代より」とも呼ばれる。
グリーグ41歳のときにベルゲン近郊のトロールハウゲン(妖精の森)に
住まいを建てたが、そこで書かれた作品である。

元々は5曲からなるピアノ組曲で、古典組曲の形式で書かれているが、
翌年の1885年に弦楽合奏に編曲した。
弦楽合奏曲の方が、演奏されることが多い。

ホルベルグ(ホルベア)男爵の活躍の舞台となった、
フレデリック五世の宮廷の情緒を反映したバロック調の作品である。

第1曲ー前奏曲   
第2曲ーサラバンド 
第3曲ーガヴォット 
第4曲ーアリア   
第5曲ーリゴードン 




《 死と音楽 》

【 組曲 「ペール・ギュント」】

第1組曲 作品46

第1曲「朝の気分」  
   第2曲「オーゼの死」    
   第3曲「アニトラの踊り」  
   第4曲「山の魔王の殿堂にて」

第2組曲 作品55

第1曲「イングリードの嘆き」
   第2曲「アラビアの踊り」     
   第3曲「ペール・ギュントの帰郷」 
   第4曲「ソルヴェーグの歌」    

「ペール・ギュント」は、 ノルウェーの文豪イプセンが、
母国に伝わる民話の英雄ペール・ギュントの波乱万丈の物語に
題材をとって書き上げた、
同名の5幕の詩劇の上演に際して、同国人の新進作曲家グリークに
劇音楽の作曲を依頼したのをうけて、1874年から翌年にかけて
作曲したものである。

全23曲から作られているが、後にグリークは特にすぐれた
4曲を選び、演奏会用の作品にまとめたのが、第1組曲作品46で、
ひき続いてやはり4曲を選んで第2組曲作品55がまとめられた。

怠け者のペールは、ソルベイグを置き去りにして
冒険に旅立ってしまった。
彼女は彼の建てた森の小屋でいつまでも帰りを待つ・・・

このわびしく美しい民謡風の旋律の中に、
ソルベイグの素朴な純愛がにじみでているが、グリーグ自身、
この旋律を民謡からとったことははっきり認めていて、彼の歌曲中で
最も通俗的に成功を薄した曲である。

最愛の母親オーゼが、ペールにみとられながら
死んでゆく場面の音楽が「オーゼの死」。

森の小屋で哀れな老人となってやっと帰ってきたペールを、
昔の恋人ソルヴェーグが優しく抱いて前奏に続いて
「冬はゆきて春過ぎて・・・」と歌う・・・
その歌を耳にしながら、ペールは死んでゆく。
哀愁をおびた旋律で 女の永遠の愛をうたった名歌である。

【 ソルヴェーグの歌 作品23-20 】



冬はゆきて 春過ぎて 春過ぎて
夏も巡りて 年経れど 年経れど
君が帰りを ただわれは ただわれは
誓いしままに 待ちわぶる 待ちわぶる

生きてなお 君世にまさば 君世にまさば
やがてまた会う 時や来ん 時や来ん
あまつみくにに ますならば ますならば
かしこにわれを 待ちたまえ 待ちたまえ

(堀内敬三 訳詞)





《 傑作中の傑作 》

【 抒情組曲作品54より 】 

グリーグは最初ピアノのために書いた「抒情小曲集」作品54から、
後に4曲を選んでオーケストラのための「抒情組曲」を編んだ。

「ノクターン」(夜想曲)はその第3曲で、澄み切った抒情味あふれる
美しい曲は、グリークの傑作中の傑作と激賛されている。

夜霧の深い北海の潮騒のなかに、フルートの音色でかすかに
聞こえてくるのは海鳥の叫び・・・

第1曲 羊飼の少年      
第2曲 ノルウェーの農民行進曲
第3曲 夜曲         
第4曲 こびとの行列     





《民族的情緒性》

【 弦楽四重奏曲 ト短調 作品27 】

グリーグは弦楽四重奏曲を2曲残している。
1878年に書いた「ト短調」と、1892年の作品「ヘ長調」があるが、
この曲は未完成に終わった。
グリーグの友人のオランダの作曲家レントヘンによって完成されたが、
普通グリーグの弦楽四重奏曲といえば、「ト短調」を指す。

国民主義者としてのグリーグの作品は、常に形式性よりも
民族的情緒性に優位がおかれているが、この曲も
北欧ノルウェーの国民的感覚を歌い上げている。

この作品を作ったころのグリーグは、都会を避けて、
ロフトヒュースという村に仕事のための特別な丸太小屋を作り、
その中で作曲していた。




《 力強い作品 》

【 バイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 作品45 】

グリーグは、バイオリン・ソナタを3曲書いた。

               第1番 ヘ長調 作品8(1865年)  
               第2番 ト長調 作品13 (1867年)  
               第3番 ハ短調 作品45(1887年)  

1887年に出版された第3番は、1878年ごろ着手されたと伝えられている。
3曲の中では、演奏される機会が一番多い。

円熟した手法による、非常に力強い作品で、フランスの批評家
クロッソンは、もしグリーグがこの他になにも作曲しなかったとしても
彼の名は後世まで伝えられるだろうと言っている。

第1楽章は、情熱的な激しい第1主題と
抒情的で美しい第2主題の対比で構成されている。

抒情的なピアノのソロで始まる第2楽章は3部形式で、
真ん中はスケルツォ風で軽快なモリス・ダンスが
ピアノの切分音の伴奏で奏される。

生き生きとした激しい最終楽章は、バイオリンとピアノに
軽妙な掛け合いが行なわれる。
コーダで気ぜわしく次第に強くなり、燃え尽きるように終わる。




《 悲歌 》

【 チェロ・ソナタ イ短調 作品36 】

グリーグは、自国ノルウェーの大先輩で当時高名を馳せていた
名バイオリニストのブル(1810〜1880)に天才であると認められ、
彼の勧めでライプチヒに遊学し、基本的な勉強をした。

ブルには、非常にかわいがられ、強い影響を受けている。
二人でモーツアルトのバイオリン・ソナタやその他の
二重奏曲を合奏したり、グリーグの兄のヨーンのチェロを加えて
三重奏曲を演奏したりして楽しんだ。

それはグリーグ21歳、ブル54歳、1864年のことで、
郷土の香り高い室内楽の作品はこうして生まれた。

1883年に作曲した「チェロ・ソナタイ短調」は、仲の良かった
兄が亡くなったのを悲しみ、哀悼の気持ちをチェロにうたわせた
悲歌で、聴くものの胸にひしひしと迫るものがある。
グリーグはチェロ・ソナタを1曲しか書かなかった。

第1楽章は「イ短調協奏曲」に似ていて、暗い北欧的な
憂愁をたたえた旋律で、人の心に沁み入るようにゆるやかに流れる。

第3楽章の終曲はソルベイグの歌を思わせ、全曲を通して、
亡き兄の在世中の気分をあらわしている感銘深い曲である。




《 民族的舞曲 》

【 ノルウェー舞曲 作品35 】

グリーグの作品は民族性の濃厚な舞曲が多いが、
ノルウェー舞曲作品35は、37歳のころ作曲している。
第1曲から第4曲でできていて、優雅で静かな牧歌で始まる第2曲は、
美しい主題と対比の美しさで、全曲中の圧巻といわれている。

管弦楽曲の他に、管楽合奏用、ピアノ独奏曲とピアノ2台用にも
編曲されて演奏されている。