ヘンデル,ゲオルク・フリードリヒ 〔ドイツ〕
(1685.02.23 〜 1759.04.14) 74歳  (白内障)

             【 オルガン協奏曲 変ロ長調 作品4-6 HWV311 】
             【 「アルチーナ」の音楽 HWV34 】
             【 組曲「水上の音楽」 HWV348 】
             【 組曲「王宮の花火の音楽」 HWV351 】
             【 チェンバロ組曲 第5番 ホ長調 HWV430 】
             【 オラトリオ「メサイア」(救世主)HWV56 】
             【 オラトリオ「マカベウスのユダ」HWV63 】



 

《 音楽の母 》

【 オルガン協奏曲 変ロ長調 作品4-6 】

ヘンデルは、1685年2月23日に中部ドイツの
ヴァイセンフェルト宮廷の医師として仕えていた父と、
ハレのルター派の名門の牧師の家系出身で
深い信仰心をもった母との間に生まれた。

ハレ大学で法律を勉強したが、その後イタリアでオペラを学び、
さらにイギリスに渡って、そこを第2の故国とし、この世を
去ったのはロンドンだった。

ヘンデルはバロック音楽の最後の作曲家で、オペラとオラトリオに
主力を注ぎ、傑作を作曲しているが、器楽曲として
チェンバロ用の組曲、管弦楽用の序曲、バイオリン・ソナタなどの他、
 多くの協奏曲も残している。

オルガン協奏曲は約12曲あるが、作品4として知られている
6曲は一冊の曲集に収められている。

ヘンデルのオルガン協奏曲の多くは、オラトリオを上演した劇場で、
そのオラトリオの間にはさんだ一種のアトラクションのようなもので、
もっぱら聴衆の気分転換の役割をするものだった。

それらは、即興的で多くの自由な奏法を加え、
見せびらかす要素をもっていた。
演奏巨匠的なところが少なくないこと、多くは和声的で、
位法的に入念ではないことから、その書法がオルガン風よりも
ピアノ風またはハープシコード風である。

作品4の6つのオルガン協奏曲は、独奏のオルガンの他に
弦とオーボエを用いている。

この作品4ー6はヘンデルがハープのための楽譜も残したことから、
「ハープ協奏曲」としても演奏される。


 

《 歌劇競争 》

【「アルチーナ」HWV34 序曲 】

1719年にロンドンで、イタリア風歌劇上演のための
「王立音楽アカデミー」が設立され、ヘンデルは
その音楽総監督に任ぜられ、彼のオペラは盛んに上演された。

しかし、イタリアからやってきた作曲家のポノンチーニの
歌劇も大評判で、二人の歌劇競争が始まった。
芸術的にはヘンデルの方が優れていたが、
一般受けが良かったのはボノンチーニだった。

しかし、経営が苦しくなり1828年に「王立音楽アカデミー」は解散した。

1733年からはヘンデル一人で経営に乗り出し、
コヴァント・ガーデン劇場で奮闘した。

この時代のヘンデルは、初期のイタリア風歌劇よりも、
もっとフランス的なバレエをふくんだ軽い歌劇を作ったが、
その中の一曲が「アルチーナ」で、1735年の4月16日に
コヴァント・ガーデン劇場で初演された。

イタリア人のアントニオ・マルキの台本による「アルチーナ」は、
3幕の歌劇で、アルチーナというイタリアの伝説に出てくる
妖精の物語で、美しい旋律に富み、第2幕と第3幕にある
バレエ音楽は傑作である。

弦合奏にオーボエを加えた序曲は、序奏部、アレグロ、
ミュゼット、メヌエットの各部分からなり、歌劇の序曲というよりは
短い組曲のような形式をもっている。

また、バレエ音楽は「アルチーナ」組曲として、演奏会用に
編んだ組曲の形式もあり、古雅で華麗な音楽である。

第2幕のバレエ「夢の音楽」  
 1、楽しい夢の登場      
 2、恐ろしい夢の登場     
 3、脅された夢の登場     
 4、悲しい夢と楽しい夢との争い
第3幕のバレエ        


 

《 イタリア風 》

【 組曲「水上の音楽」HWV348-350 】

 ハイドンは1707年にイタリアにわたり、後にハノーヴァー選挙候の
宮廷楽長を勤めていたが、休暇をとって渡英し、
相当な成功をおさめ翌年帰国した。

その後、再びイギリスに招かれ、当時のアン女王の寵愛を
得ることになり、英国上流社会での人気を一身に集め、
ハノーヴァー選挙候の再三の帰国命令を無視した。

1714年にアン女王が急逝し、次の国王はハノーヴァー選挙候が
ジョージ一世として即位した。
不義理をしていたヘンデルは不遇の身となってしまった。

逸話として、翌年テームズ河上で行われた王の舟遊びの宴の際、
楽隊とともに船に乗り密かに王のために作曲した「水上の音楽」を奏でた。
王はその音楽にひかれ、繰り返し演奏を求め、再び王宮への
出入りを許可されたのだった。

第1曲 アレグロ          
第2曲 アリア           
第3曲 ブーレー          
第4曲 ホーンパイプ        
第5曲 アンダンテ・エスプレッシヴォ
第6曲 アレグロ・デチーソ     

明るく爽やかなイタリア風の「水上の音楽」は、全部で一時間をこえる
大曲のため、名指揮者のハミルトン・ハーティの編曲によるものを、
組曲の形で演奏されることが多かったが、現在では指揮者の解釈で
オリジナルの楽譜を組曲ごとに演奏することもある。




《 平和祝賀の花火 》


【 組曲「王宮の花火の音楽」HWV351】

 ヘンデルは、バッハの生地アイゼナッハと同じ中部ドイツのハレで、
バッハより1ヶ月前に生まれた。

バッハの家系は、ヨハン・セバスチャン・バッハから四代前の
十六世紀末から、息子たちの世代である十八世紀の末にいたるまで、
200年にわたり50人以上の音楽家を輩出しているが、
ヘンデルの家系には父方にも母方にも音楽家はいなかった。

バッハは一生の間、ドイツ以外に足を踏み出したことがなかったが、
ヘンデルは若くしてイタリアでオペラを学び、さらにイギリスに渡って
そこを第2の故国とし、この世を去ったのはロンドンだった。

72歳ごろから白内障のため作曲が出来なくなったが、コンチェルトの
指揮や、オルガン・コンチェルトの演奏で活躍していた。

最後の演奏会の一週間後の4月14日の受難の土曜日に、
ヘンデルは静かに世を去った。

「水上の音楽」と並んでヘンデルの最も著名な管弦楽作品の
「王宮の花火の音楽」は、1749年に書かれ、4月27日に
グリーンパークで催された平和祝賀の花火大会で
演奏されたのが初演になる。

この曲は、野外で朗々と響くように苦心されているが、
初演の際は、100本の管楽器が吹きまくったといわれている。

後に、ヘンデル自身によって弦合奏を加えた演奏会用のものが
編まれたが、あまりに膨大なために現在では英国の指揮者の
ハーティが近代管弦楽用に編んだものが演奏されることが多い。

花火が打ち上げられる前に奏された序曲と、その合間に奏された
小さな舞踏調の小品からなっている。

先ず、ティンパニーのトレモロで始まり、管楽器による緩やかな
旋律が現れ、弦楽器に引き継がれて、雷鳴のように轟く
ティンパニーを従えて、弦と管が応答しつつ発展していく。

主部に入ると、楽し気なティンパニーを伴った管弦楽が、
こだまするような管楽器と掛け合いながら、いかにもヘンデル風な
おおらかさと、楽しさをもって、華やかに第1曲の序奏は終わる。

その後第2曲、第3曲・・・と続くのだが、ハーティ編の他に
「メヌエット」で終わるザイフェルト編曲のものもあって
曲の配列が違っていて、ヘ長調の短い「メヌエット」が含まれる。

第1曲 序曲        
第2曲 ア・ラ・シチリアーナ
第3曲 ブーレー      
第4曲 メヌエット     




《 ヘンデルの最期 》

【 チェンバロ組曲 第5番 ホ長調 】

 ヘンデルは72歳ごろから白内障のため作曲が出来なくなったが、
コンチェルトの指揮や、オルガン・コンチェルトの演奏で活躍していた。

最後の演奏会の一週間後の4月14日の受難の土曜日に、
静かに世を去った。
それは、白内障の手術を受けた数カ月後のことだった。
医師のテーラーの手術の失敗だったといわれている。
バッハもテーラーの手術を受けている。

8曲からなるチェンバロ組曲は、大組曲とも呼ばれているが、
組曲第5番は「調子の良い鍛冶屋」として知られている
終曲をもっていて、ヘンデルの組曲のなかで最も有名な曲である。

終曲の第5番は、ヘンデル自身は「アリアと変奏」とだけ題していて、
「調子の良い鍛冶屋」という題は、彼の死後、イギリスの出版者が
勝手につけたものとされている。

鍛冶屋の徒弟がこの主題を気に入り、仕事をしながら絶えず
口ずさんでいたので、人々が彼に「調子の良い鍛冶屋」という
あだ名をつけたとも言われているが、これは全くの創作のようである。




《 ハレルヤ・コーラス 》

【 オラトリオ「メサイア」(救世主)HWV56 】

 ヘンデルはバロック音楽の最後の作曲家で、オペラとオラトリオに
主力を注ぎ、傑作を作曲しているが、器楽曲としてチェンバロ用の
組曲、管弦楽用の序曲、バイオリン・ソナタなどの他、
多くの協奏曲も残している。

オラトリオは、宗教的な題材による大規模な叙事的楽曲で、
オルガンや管弦楽の伴奏により独唱・重唱・合唱で
劇的構成をもつが、演技も舞台装置もなしで演奏される。
イギリスのオラトリオの伝統は、ヘンデルによって築かれた。

彼は、多くのオラトリオを作曲しているが、中でも救世主キリストの
一生を描いた「メサイア」が、世界で最も愛好される曲の一つとなっている。

1742年4月13日にアイルランドのダブリンで初演されたが、
その後何度も改訂・再演されている。

全曲は3部52曲からなる。

第1部 キリストの降誕   
第2部 受難と贖(しょく)罪
第3部 復活と永遠の生命  

なかでも第2部の終曲の「ハレルヤ・コーラス」は、全曲中の
圧巻として単独で歌われることが多い。
ロンドンで初演されたとき、臨席していたジョージ2世が
この合唱の途中で感動のあまり起立し、他の聴衆もそれにならって
立ち上がったとの逸話がある。
この合唱は起立して聴くことが習慣になっている。

この曲は、偉大な宗教音楽ではあるが、バッハのオラトリオや
受難曲のような教会音楽ではない。

クリスマス讃歌の一つである「諸人こぞりて」は、
ヘンデルの作曲をメイスンが編曲したものである。





《 ユダヤ民族の勝利 》

【 オラトリオ「マカベウスのユダ」HWV63 】

オラトリオは、宗教的な題材による大規模な叙事的楽曲で、
オルガンや管弦楽の伴奏により独唱・重唱・合唱で劇的構成をもつが、
演技も舞台装置もなしで演奏される。
イギリスのオラトリオの伝統は、ヘンデルによって築かれた。

「マカベウスのユダ」はヘンデル61歳のときの作品で、
1746年4月にスコットランドのウィリアム公がカロデンの戦いで
勝利したお祝いに作曲し、公に捧げられた。

楽譜が出版されたのはヘンデルの死後10年先のことで、
自筆原稿はバッキンガム宮殿の王室音楽図書館に保存されている。

全曲3部からなるこの曲は、ユダヤ民族の嘆きに始まり、
マカベウスのユダが民族の英雄としてシリアの圧政に反抗し、
ついに勝利をおさめる過程が、感動的に描き出されたオラトリオである。