オッフェンバック,ジャック  〔フランス〕
(1819.06.20 〜 1880.10.05) 61歳

            【 チェロ協奏曲 ト長調「軍隊風」】
            【 オペレッタ「天国と地獄」】
            【 オペレッタ「美しいエレーヌ」序曲】
            【 オペレッタ「パリの生活」】
            【 歌劇「ホフマン物語」】
            【 バレエ音楽「パリのにぎわい」】





《 軍隊風 》

【 チェロ協奏曲 ト長調「軍隊風」】


十九世紀後半のパリを中心に活躍したオッフェンバックは、
フランス人作曲家ということになっているが、ドイツ生まれのユダヤ人である。


ケルンで生まれたオッフェンバックの本名は、
ヤーコブ・エーベルストだが、
父がオッフェンバッハ・アム・マインの出であるため、
オッフェンバックと名のるようになった。

父は、製本業のかたわら、ユダヤ教会の先唱者をつとめていたが、
家庭ではヴァイオリン・フルート・ギターを教え、
機会音楽(特定の式典などの機会のために作られた音楽)の作曲もした。


ジャックの教育は先ず父親によって始められ、後にフランスで勉強をし、
第二帝政時代の代表的オペラ・ブッファ(喜歌劇)の
作曲家として活躍した。

この帝政と結びついていたオッフェンバックは、1870年の
普仏戦争とそれに伴うナポレオン三世の第二帝政の崩壊で、
不利な状態となり、一時はイタリアとスペインに逃れていたが、
3年後には帰国してパリで活動を始めている。


36歳のときに、自分で劇場を持ち、次々と喜歌劇を作曲したが、
4幕からなる「天国と地獄」は、あらゆるオペレッタの中で、
最も有名なものの一つにあげられる。

高名なチェリストだったオッフェンバックは、
チェロのための作品も多く遺している。

作曲家として認められる以前の1840年代にはチェロ奏者として、
ヨーロッパ中で活躍していた。

「チェロ協奏曲 ト長調」は、この時期の28歳の年の1847年に
第1楽章のみがオッフェンバック自身のチェロにより初演されている。


その後、スケッチなどをもとに第2楽章と第3楽章を復元した
不完全な形の全曲演奏が行なわれたことがあったが、
肝心な全曲の自筆のスコアはオッフェンバック家の
書庫に長く忘れ去られていた。

二十世紀に入るとこのスコアが競売にかけられ、
世界中にバラバラになっていた。
その後一枚ずつ集められ、初めて全曲が完全な形で
演奏できるようになった。

この楽譜は新たに編集された作品全集に納められている。
3楽章からなる「軍隊風」は、第1楽章の冒頭や
第3楽章で聴かれるティンパニーやトランペットの響きが
軍隊の雰囲気を感じさせることからつけられた。

                第1楽章 Allegro maestoso
                第2楽章 Andannte    
                第3楽章 Allegretto   




《 社会諷刺 》

【 オペレッタ「天国と地獄」】

オッフェンバックのオペレッタ(喜歌劇)の作品の中では最大の傑作である、
 4幕からなる「天国と地獄」は、原題を「地獄のオルフェウス」といい、
 あらゆるオペレッタの中で、最も有名なものの一つ
にあげられる。

 ギリシャ神話の、有名なオルフェウスとユウリディーチェの物語を、
 茶化して機智にあふれる社会諷刺を織り込んだ台本に軽妙、
 快活な音楽をつけたもので、上演の際はその時代に即応した
 諷刺を盛り込むのがふつうとされていた。

 颯爽・軽快な序曲の終わりと、4幕の終盤に現れる有名なカンカンの
 ギャロップは、底抜けに愉快な雰囲気をあおりたてる。

 この「天国と地獄」が初演されたのは、1858年の10月21日で、
 3年前に自分自身でもった、パリのブッフ・パリジアン座であった。




《パロディー化》

【 喜歌劇「美しいエレーヌ」序曲 】

オッフェンバックは、36歳のときに自分で劇場を持ち、次々と喜歌劇を
作曲したが、人気を得た「美しいエレーヌ」は、45歳の時の作品である。

トロイ戦争の原因となったパリスによる絶世の美女
スパルタ王妃ヘレネの誘惑の話しをパロディー化したもので、
神話を元に人妻の不倫や社会的地位のある人々の放蕩ぶりを風刺している。

序曲は、演奏会でよく取り上げられる。





《 名喜劇 》

【 オペレッタ「パリの生活」】 


彼の喜歌劇(オペレッタ)の作品の中では、最大の傑作である、
4幕からなる「天国と地獄」は、あらゆるオペレッタの中で、
最も有名なものの一つにあげられる。

その「天国と地獄」に続くリヨン・オペラの
オッフェンバック第2弾が5幕からなる「パリの生活」で、
パリの高級娼婦界を舞台に外国人を風刺したパリ・オペレッタの傑作である。

社交界を真似た高級娼婦界の男女の恋愛ごっこを縦糸に、
パリを訪れた外国人観光客を彼らがおちょくる様を横糸にした名喜劇。

1866年10月31日に自分の劇場の
ブッフ・パリジジャン座で初演された。




《 唯一の歌劇 》
 

【 歌劇「ホフマン物語」】

 オッフェンバックが作曲したオペレッタの数多くの作品は、
自分で持っていた劇場で上演し、当時のパリでの
人気を一身に集めていた。

しかし、長年の過労のため健康に衰えをみせてきた
オッフェンバックは、書けるうちに喜歌劇ではなくて
本格的な歌劇、それも不朽の名作を作曲しようと考えた。

そして手掛けたのが、彼の唯一の歌劇となる
「ホフマン物語」だが、その後病勢は悪化し、後わづかで
仕上げというところで、61年の生涯を閉じてしまった。

最後の完成は、エルネスト・ギローの手によって行われ、
死の翌年の1881年2月10日にパリの
オペラ・コミック座で初演された。

ドイツの浪漫派作家のホフマンが亡くなって、58年後に
オッフェンバックがオペラ化したもので、いくつかの
小説から自由に題材を求めて作られた台本に作曲した
幻想的で優れた旋律に富んだ作品である。

プロローグ
 ドイツ・ニュルンベルクのルーテルの酒場
 (3人の女性との失恋物語を語るホフマン)
第1幕
 イタリア・ローマの科学者スパランツァーニの応接間
 (器械仕掛けの人形オランピアに恋する物語)
第2幕
 イタリア・ヴェネツィアの
 大運河に面した宮殿
 (高級娼婦ジュリエッタに影を奪われる物語)
第3幕
 イタリア・ヴェネツィアまたは
 ドイツ・ミュンヘンのクレスペス家
 (恋人のアントニオが激しく歌い、息絶える物語)
エピローグ
 ルーテルの酒場
 (ミューズの夢をみるホフマン)

第2幕で歌われる、二重唱のバルカロール(舟唄)は、
歌劇と切り離して「ホフマンの舟唄」として
歌われたり演奏されたりしている。




《バレエ音楽として》

【 バレエ音楽「パリのにぎわい】

「パリのにぎわい」は、指揮者のロザンタールによって編曲され、
「パリの喜び」として、フランス・バレエ名曲集におさめられている。

1、序曲     
2、ポルカ    
3、ワルツ・レント
4、行進曲    
5、カンカン