《 オペラ・オラトリオ 》 【 オペラ「エディプス王」】 ストラヴィンスキーは、1882年6月17日にペテルブルク郊外の オラニェンバウムで、著名なオペラ歌手の父と、音楽の天分に 恵まれていた母との間に生まれた。 家には20万余の蔵書があり、後に作品の素材となる 多くの民間伝承や、オペラのスコアが含まれていた。 9歳のときに両親はピアノの先生につけたが、楽譜を読むことを たちまち覚え、即興演奏をするようになったものの、 特別の天分は示さなかった。 父の勧めで、大学では法律を勉強したが、学友に リムスキー・コルサコフの息子がいて、本格的に作曲家になる 決心をしたが、その後も音楽学校には入らず、法律を勉強しながら、 リムスキー・コルサコフから作曲法や管弦楽法を学んだ。 ストラヴィンスキーの代表的な作品であり、現代曲の中の 数少ない名品の一つに数えられるオペラ「エディプス王」は、 1924年に着手され、1927年に完成された。 題材を古代ギリシャ神話からとり、ソフォクレスの ギリシャ悲劇をもとに、台本をジャン・コクトーが書いた。 副題は「ソフォクレスにもとづく2幕のオペラ・オラトリオ」とあり、 オラトリオのもつ、壮麗な格調を、できるだけ近代的に 生かそうと努め、成功している。 完成の年の5月30日に、ストラヴィンスキーの指揮で、 パリのサラ・ベルナール劇場で初演された。 全2幕だが、語り手が筋の展開を説明する部分をはさみ、 それぞれ3部分に分けられている。 《 最初のバイオリン曲 》 【 バイオリン協奏曲 ニ長調 】 ストラヴィンスキーは、社会的活動を全く好まず、 音楽団体の世話役や会長にも就任したことがなかった。 故国の革命にも無関心だったし、自身の創作を妨げられる ことを避けた人生で、彼は長いあいだ問題の作家だった。 1930年代頃まで、1作品毎に大胆な実験を行ない、 常に「変貌」を続けていった。 バイオリン協奏曲は49歳の作品だが、 バイオリン曲としては、彼の最初の作品である。 書くきっかけとなったのは、自分の趣味にかなうバイオリニストの サミュエル・ドッシュキンと知り合いになったことがあげられる。 この曲は、一部の評論家からは、曲芸的で山師的だと 非難を受けたが、その後もドッシュキンの協力で 数々のバイオリン独奏用の編曲を発表した。 《 最後の作品 》 【 協奏曲「ダンバートン・オークス」】 二度の大戦で居住地を変えたが、作風も大きく変わり、 自分にとっての新たな音楽を追い続け、そこから独自のものを 作り続けていった。 その探究心は、死の直前まで衰えず、病床でも作曲を続け、 最愛の妻が見守るなか、1971年4月6日に ニューヨークで88年の生涯を閉じた。 木管楽器のための協奏曲「ダンバートン・オークス」は、 芸術に理解のあったブリス夫妻の結婚30周年の お祝いのために書かれた。 夫妻は、ワシントン郊外に美しく広大な庭園を造り、 「ダンバートン・オークス」 と名付け、そこに住居を構えていた。 この作品の題名は、その庭園の名からつけられた。 ストラヴィンスキーがヨーロッパ時代に完成させた 最後の作品となった。 3楽章からなり、全楽章は連続して演奏される。
第1楽章 Tempo giusto 第2楽章 Allegretto 第3楽章 Con moto
1、Sonfonia 2、Serenata 3、Scherzino 4、Tarantella 5、Gavotta con due variazione 6、vivo 7、Minuetto