《 ピアノの詩人 》 【 ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 】 「ピアノの詩人」と呼ばれたショパンは、1810年3月1日に ポーランドの首都ワルシャワ近郊のスカルベック伯爵夫人の 所有地であるジェラゾーヴァ・ヴォラで生まれた。 フランス人の父が、伯爵家のフランス語の家庭教師として 住み込んでいたためである。 母は伯爵夫人の遠縁にあたり、古いポーランドの貴族出で、 家政婦として働いていた。 2人の間には、4人の子どもが生まれたが、ショパンは 姉と妹2人の間の長男だった。 父はその後伯爵家を出て、学校のフランス語教師として一生を終えた。 ショパンが生まれた翌年、リストは生まれている。 二人とも、ピアノ協奏曲は2曲のみ。 どちらも、最初に作曲したのは「第2番」 リストの第1番は、円熟期の作品で3度改定されている。 20歳のころのショパンの作品は古典的。 45歳のころのリストの作品は革命的。 ショパンは39歳でこの世を去ったが、リストは74歳。 ショパンはピアノ協奏曲を2曲書いた。 「第1番ホ短調」は1830年に作曲したが、 出版されたのは1833年だった。 「第2番ヘ短調」は前年の作曲だが、出版が 1836年だったため、番号が逆になってしまった。 この2曲は、青年時代を過ごした故国ポーランドで創作したものだが、 後年の円熟期の作品にみられる内容の深さと、作曲技巧の変化や 完璧性に乏しく、後に管弦楽のパートに手を加えられたりもした。 しかし、最初のほうがピアノパートをよりよく生かすため、 元のままで演奏されることが通例になっている。 第1番は、ポーランドを去り、パリに居を移す直前に 作曲されたもので、10月11日にワルシャワで 開催されたショパンの告別演奏会で、 彼自身のピアノソロで初演された。 モーツアルトが確立した古典協奏曲の第1楽章形式を 追う第1楽章、ノクターン風の性格を持った優雅な 音楽の第2楽章、溌剌とした、典雅で高貴なロンドの 第3楽章はモーツアルトの再来を思わせる。
第1楽章 Allegro maestoso 第2楽章 Romanze: Larghetto 第3楽章 Rondo: Vivace
第1曲 前奏曲 第7番 作品28-7 第2曲 夜想曲 第10番 作品32-2 第3曲 ワルツ 第11番 作品70-1 第4曲 マズルカ 第23番 作品33-2 第5曲 マズルカ 第44番 作品67-3 第6曲 前奏曲 第7番 作品28-7 第7曲 ワルツ 第9番 作品69-1「別れのワルツ」 第8曲 前奏曲 第7番 作品28-7 第9曲 ワルツ 第7番 作品64-2 第10曲 ワルツ 第1番 作品18「華やかなワルツ」
ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 作品4 (1828年) ピアノ・ソナタ第2番 ロ短調 作品35(1839年) ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58(1844年)
第1楽章 Grave-Doppio movimento 第2楽章 Scherzo 第3楽章 葬送行進曲 Lent-attacca 第4楽章 Finare.Presto