2−2
メンデルスゾーン,ヤーコブ・ルードヴィヒ・フェリックス 〔ドイツ〕
(1809.02.03 〜 1847.11.04)  38歳

         2−1
          【 交響曲 第1番 ハ短調 作品11 】
          【 交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」】
          【 交響曲 第4番 イ長調 作品90「イタリア」】
          【 交響曲 第5番 ニ短調 「宗教改革」作品107 】
          【 ピアノ協奏曲第1番ト短調作品25 】
          【 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 】
          【 バイオリン協奏曲 ニ短調 】
          【 序曲「フィンガルの洞窟」作品26 】
          【「真夏の夜の夢」序曲 作品21 】
          【 序曲「海の静けさと幸福な船旅」作品27 】
          【 序曲「ルイ・プラス」作品95 】
         2−2
          【 弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品12 】
          【 弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20 】
          【 ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品49 】
          【 無言歌集 】
          【 オラトリオ「エリア」作品70 】
          【 歌曲「歌の翼に」作品34-2 】
            






《 カンツォネッタ 》

【 弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品12 】

メンデルスゾーンは、弦楽四重奏用の曲を11曲残している。
そのなかの4曲は単一楽章の小品で、他は4楽章の形をとっているが、
いずれもあまり聴く機会がない。
しかし、この作品12だけは演奏され、特に第2楽章「カンツォネッタ」だけは
しばしば取り上げられる。

この曲は、メンデルスゾーンの20歳のときの作品で、4つの楽章からなり、
メンデルスゾーンらしく器用に書かれていて、美しい旋律をもっている。




《 完成した習作 》

【 弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20 】

シューベルトの誕生の12年後に生まれたメンデルスゾーンが、
弦楽八重奏曲を作曲したのは16歳のときで、シューベルトが
「アルペッジョーネ・ソナタ」を書いた翌年の1825年のことだった。

八重奏曲で有名なものはあまりないが、メンデルスゾーンのものは
最もよく知られている。
この弦楽八重奏は、弦楽四重奏を2倍にしたヴァイオリン4、ヴィオラ2、
チェロ2の編成をとっている。

この曲について、メンデルスゾーン自身は交響曲風に演奏すべきであり、
力性も他の種類の室内楽曲の場合よりも強調すべきであるとのべている。
そんなことから、この曲は室内楽曲ではないとみなす人もある。

自由な構成で、色彩的にはきわめて華やかで、全体の流れはなめらかであり、
しかも幻想味に富んでいて、16歳とはいえ、音楽的に成熟した
メンデルスゾーンの姿がある。

              第1楽章 Allegro Moderato con fuoco  
              第2楽章 Andante          
              第3楽章 Scherzo.Allegro Leggierissimo 
              第4楽章 Presto           




《 偉大なるピアノ三重奏 》

【 ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品49 】

シューマンは、この三重奏曲を評して
「ベートーベン以来の最も偉大なるピアノ三重奏曲」と賞賛している。

メンデルスゾーンの「第1番 ニ短調」は、ハイドンに始まって
モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、
チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ラベルなど
古今の「ピアノ三重奏曲」の中で人気のあるものの一つとなっていて、
親しみやすい旋律をもっている。

この曲を作曲した1839年ごろのメンデルスゾーンは、
最も幸福な時期だった。

彼が27歳の1836年の夏に、フランス系の牧師の娘の
セシルと知り合った。
彼女は17歳だったが、明敏な理性と容貌の美しさに惹かれ
9月には婚約をし、翌年の春にフランクフルトで結婚式を挙げた。

ピアノ三重奏曲ニ短調は、華やかで生き生きとしていて、気品もあり、
流麗で親しみやすい旋律をもち、気持よく演奏できるようになっている。
ピアノが少々威張り過ぎるという非難もあったりはするようだが・・・

感傷味をもつチェロの第1主題で始まる第1楽章は情熱的に結ばれる。
第2楽章では、ピアノで無言歌風に呈示され、メンデルスゾーン特有の
甘い歌うような旋律が全体に流れる。
急速軽快な主題で始まる第3楽章。
第4楽章では、駆り立てるように曲は結ばれる。




《 ピアノ独奏曲 》

【 無言歌 作品109 ニ長調(遺作) 】

メンデルスゾーンは、49曲の無言歌を書いている。
無言歌は大部分、歌曲ふうの旋律と簡単な伴奏とでできている
ピアノ独奏曲である。

全49曲のうち、48曲は「第1巻作品19」から
「第8巻作品102」まで、各6曲ずつまとめられている。

「第7巻作品85」は没後4年目に、「第8巻作品102」は21年後に、
そして、無言歌の最後の曲の「作品109」は遺作として出版された。

「作品109」は、子守歌ふうの、温かな詩情をたたえた旋律を持っていて、
優雅で抒情的な作品であるが、そこには一脈の寂しさが流れていて、
彼の死の予感を感じさせないでもない。




《 ロマン派宗教音楽の傑作 》

【 オラトリオ「エリア」作品70 】

メンデルスゾーンの宗教音楽には優れた作品が数多い。

オラトリオ「聖パウロ」(1836年)
カンタータ「頌歌」(1840年)  
オラトリオ「エリヤ」(1845年) 

中でも「エリヤ」は、大合唱団体のレパートリーの一つとして演奏され
愛好されることの多い曲である。

彼が心血を注ぎ込んだ偉大な労作の 「エリヤ」は、 死の1年前に完成し初演された。
楽曲構成、フーガ法にバッハ、ヘンデルの影響が著しいが、メンデルスゾーン独自の、
ロマンチックで魅惑的な旋律、色彩感にあふれた和声法と管弦楽法、
息詰まるような劇的な迫力など、ロマン楽派期の最大の宗教音楽である。

旧約聖書に記されている予言者エリヤの行動を、

第1部
バアルを駆逐しエホバの怒りを解いて、イスラエル民衆を干ばつから救う物語。

第2部
迫害から逃れ聖旨のままに大事業を完遂し、最後に昇天するまでを扱っている。




《 ハイネの詩 》

 【 歌曲「歌の翼に」作品34-2 】    

ハイネ,ハインリヒ 〔独〕
(1797.12.13〜1856.02.17) 58歳 

天才詩人のハイネは、1797年12月13日にユダヤ人を両親に
デュッセルドルフで生まれた。

後にキリスト教に改宗し、34歳のときフランスに亡命、ドイツとフランスの
2つの国で生きたが、パリのマンモルトルで58年の生涯を閉じた。

彼は40歳のころから、眼病、頭痛、麻痺などが起こり、病魔と闘いながら
多くの詩集や評論を書き続けた。

豊かなロマン的詩心をもったハイネの詩は、多くの作曲家によって
作曲されている。
ジルヒャーの「ローレライ」もハイネの詩に作曲したものであるが、
シューベルト、シューマン、R.シュトラウス、ブラームス、チャイコフスキー、
リストの歌曲やワーグナーのオペラなどがある。

1834年にデュッセルドルフで 作曲された「作品34」は、
ハイネの詩による6曲の歌曲で第2曲が「歌の翼」である。
メンデルスゾーンの歌曲の中で最もひろく知られているもので、
歌曲としてばかりでなく、バイオリンその他の独奏用にも編曲されて
親しまれている。

メンデルスゾーンらしいなだらかな、気品のある旋律をうたわせ、
ピアノ伴奏は一貫して美しいアルペッジョで伴奏される。



歌の翼に 恋しき君をのせ
ガンジス河の美しい花の 野に運ぼう
静かな月にはえて 花園の蓮の花は
愛しいものの訪れるのを待っている
すみれは微笑み 星を仰ぎ
薔薇はひそかに 耳に香りをよせる
なれたかしこい子鹿が 走りより
耳をそばだてる かなたには
清い流れのせせらぎが 聞こえる
そこに茂る椰子の樹のもとに おりたち
君とふたり 恋と安息を味わい 
幸の夢をみよう



歌の翼に

歌の翼を かりてゆかな
幸にあふるる 夢の国へ
陽をさす園に 花は香り
みわたす池に 蓮(はちす)におう

なつかしきかな 夢の国や
いそぎて行かな きよき楽園(その)へ
かわゆきスミレ われを招き
そよぐ風さえ 友を呼べり

いざわが友よ たちて行かん
うるわしの夢 はてぬ国へ
はてぬ国へ 国へ

(津川 圭一 訳詞)