《 おどけもの 》 【 ピアノと管弦楽のための「ブルレスケ」ニ短調 】 R.シュトラウスは、交響詩と音楽劇の大家であるが、 ピアノ協奏曲は1曲も作らなかった。 しかし、その不足は、ピアノと管弦楽のための「ブルレスケ」と 「家庭交響曲へのパレルゴーネン」「パンアテナイン行列」で補うことができた。 その3つの協奏曲風な作品の中で、最もひろく知られているのは 「ブルレスケ」で、21歳で書き始めて翌年完成したもので、 ブラームス的なロマン主義の影響を示している。 ブルレスケは、フランス語のピュルレスクで「おどけたもの」だが、 おどけた楽しい感じを出しつつ、美しく叙情的な旋律も豊かに流れる 充実した音楽である。 カデンツァをもったスケルツォ風な様式で、ただ1つの楽章からできている。 1891年1月12日にベルリンのフィルハーモニーで、ビューローの指揮と オイゲン・ダルベールのピアノ独奏で演奏された。 《 父に献呈 》 【 ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 作品11 】 父は音楽家として相当の実力のあった人で、ミュンヘン音楽院の教授、 王立バイエルン室内楽奏者、ミュンヘン国立歌劇場の 首席ホルン奏者として活躍し、ホルンのヨアヒムと呼ばれていた。 彼の祖先にも、室内楽奏者になった人がいる。 彼の父がホルン奏者として腕達者であったこともあって、 R.シュトラウスは早くからホルンに対してかなりの造詣をもち、 変ホ長調のホルン協奏曲を2曲残している。 父に捧げられた第1番は18歳の1882年に、 第2番は60年を隔てた78歳の1942年に作られた。 12歳のときには「祝典行進曲作品1」を書いたが、さらに、室内楽曲、 歌曲、管弦楽用セレナード、協奏曲などを作曲している。 第1番を作曲したころは、ミュンヘン大学で哲学、美学、 文化史の講義を聞き、ショーペンハウアーに傾倒していた。 原題は「ヴァルトホルンと管弦楽のための協奏曲ホ長調」で、 モーツアルト、メンデルスゾーン、シューマンの影響が感じられる。 高齢の父は公開の場では演奏しなかったので、 1885年3月4日にマイニンゲンの宮廷劇場で初演された。 この1番は父に捧げられている。 3楽章からなるが、それぞれ続けて演奏される。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante 第3楽章 Rondo Allegro
第1楽章 Allegro ma non troppo 第2楽章 Andante cantabile 第3楽章 Andante-Allegro