2−1
    バッハ,ヨハン・セバスティアン 〔ドイツ
1685.03.21 〜 1750.07.28 (65歳)

         2−1
         【 カンタータ BWV212 】
         【 マタイ受難曲 BWV244 】
         【「クリスマス・オラトリオ」 BWV248 】
         【 前奏曲とフーガ イ短調 BWV543 】
         【 トッカータとフーガ ニ短調 BWV565 】
         【 フーガ ト短調 BWV578 】
         【 パッサカリアとフーガハ短調BWV582 】
         【 平均率クラヴィーア曲集 BWV846-893 】
         【 無伴奏バイオリン・ソナタ 第4番 BWV1004(シャコンヌ ニ短調) 】
         【 無伴奏バイオリン・ソナタ 第6番 BWV1006 】
         2−2
         【 ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041 】
         【 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042 】
         【 ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050 】
         【 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV.1067 】
         【 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 】【 G線上のアリア 】
         【 フーガの技法 BWV1080 】






《 農民カンタータ 》

 【 カンタータ BWV212「われら新しき領主をいただく」 】

 バッハが作曲した「教会カンタータ」は、約300曲にもおよんだと
伝えられている。
それらは、独唱のためのカンタータもあるが、ほとんどは、独唱、重唱、
合唱を併用したコラール・カンタータである。

「十字架カンタータ」「宗教改革記念日のためのカンタータ」の他に、
世俗的カンタータとして、「結婚カンタータ」「コーヒー・カンタータ」など、
多くのカンタータがある。

代表的な世俗カンタータとして、農民カンタータの
「われら新しき領主をいただく」は、バッハが楽長職をつとめていた
ライプチヒからほど近い村の領主がかわり、ザクセン宮廷の侍従が
新しく就任することになったため、彼の新任を祝して盛大な宴が
催されたので、バッハはこのカンタータを捧げて祝意を述べている。
その宴は、1724年8月30日に行なわれた。

新領主を讃美する歌詞に、当時流行の俗謡や舞曲などを使って、
明るく楽しく陽気な、しかも霊感に満ちた22曲からなる
カンタータになっている。




《 マタイ伝福音書 》

【 マタイ受難曲 BWV244 】

 バッハは幼時のころからルター派の新教を通じて、
深い信仰を抱いていた。
毎週の日曜礼拝のためにカンタータを作曲し、多くの子弟に
音楽教育を授け、さらにトマス教会の合唱団の指導をしていた。

そのような中で作られて「マタイ受難曲」は、
バッハが生涯に作った受難曲中最大の作品であるばかりでなく、
器楽をも含めたバッハの全作品を代表する傑作であり、
また数ある宗教音楽中の名曲である。

初演は、1726年4月15日金曜日、ライプチヒの
トマス教会で行なわれた。
バッハが世を去って後も、毎年復活祭前には演奏されていたが、
そのうち全く忘れられていた。

ところが、たまたまメンデルスゾーンの目にとまり、初演後の
100年目にあたる1827年に彼が蘇演を行ない、大好評を薄した。
その後は、世界各地の合唱団や管弦楽の主要な
レパートリーの一つとなっている。

新約聖書に収められた4つの福音書のうち、最も重要な
「マタイ伝福音書」からなり、全体は78曲からできている。

第1部  「マタイ伝」第26章1節〜56節 
     (イエスが捕われるまで)     
第2部 第26章57節〜27章の終わりまで
     (復活前まで)          




《 キリストの生誕 》

 【「クリスマス・オラトリオ」 BWV248 】

 バッハが書いた三つのオラトリオ「クリスマス・オラトリオ」
「復活祭オラトリオ」「昇天節オラトリオ」の中でも最も大きく、
最も有名で、バッハの全作品中での大傑作の一つに数えられるが
このオラトリオである。

一貫した話の筋はなく、六つの部分からできている。
聖書のルカ伝第2章第1節から21節までと、マタイ伝第2章
第1節から12節までのキリストの生誕に関する句を用いていて
物語りとまではなってない。

ただ、オラトリオ風の説明者として、テノールによる筋書の説明が
レチタティーボとして用いられている。

六つの各部分は、それぞれに独立したカンタータの連続となって
いるので、全部通して歌うものではなく、クリスマス、その後の
祝祭日の6日に分けて、それぞれの礼拝に用いるカンタータと
なっている。
明るく喜ばしいクリスマスの雰囲気で、抒情的である。

第1部ークリスマス第1日のもの
第2部ークリスマス第2日のもの
第3部ークリスマス第3日のもの
第4部ー元旦割礼節のもの   
第5部ー元旦後第1日曜日のもの
第6部ーキリスト公顕節のもの 

バッハはこの曲を1734年に作曲し、その年のクリスマスの日と
翌年の公顕節に分けて演奏させた。




《 シュバイツァー 》

 【 前奏曲とフーガ イ短調 BWV543 】

 このハ短調は、バッハのオルガン・フーガのなかでも最も
有名なもののひとつに数えられる。
前奏曲はワイマール時代の1709年頃。
フーガの初稿は、ケーテル時代(1717〜23)。
ライプチヒ時代に 全体が完成したといわれている。

情熱的な前奏曲と静かな情緒をたたえたフーガは、
後にリストがピアノ用に編曲している。

シュバイツァー,アルベルト 〔仏〕
(1875.01.14〜1965.09.04) 90歳 

バッハの専門家として知られているドイツ系フランス人の
シュバイツァーは、アルザスで牧師の子として生まれた。

オルガン奏者としてのみならず、バッハの全オルガン作品の
楽譜を師ヴィドールと共編で出版している。

哲学者、神学者としての業績も大きく、長年アフリカの
フランス領ガボンのランパレネで医師として、原住民医療と
教化にあたった聖者のような存在だった。

1952年ノーベル平和賞を受賞したが、その13年後に
ランパレネで90年の生涯を閉じ、翌日同地に埋葬された。


 

《 音楽の父 》

【 トッカータとフーガ ニ短調 BWV565 】

 バッハは、ドイツのテューリンゲン地方の西端、ルターの聖書訳で
知られるヴァルトブルクの古城を仰ぎ見るところにある、
アイゼナッハという、人口5,6万の小さな町で生まれた。

3月23日に、この町の聖ゲオルク教会で洗礼を受けて
いるので、生まれたのはその2日前の3月21日だろうと
言われているが、正確なことはわからない。

幼い時から父や兄に音楽を学んでいたが、10歳で両親を失い、
兄に引き取られた。
23歳で宮廷オルガニストになったころは、オルガニストとしての、
名声はますます高まっていった。

65歳で亡くなるまでに無数の名曲をのこし、ヘンデルとともに
バロック音楽の最後を飾り、音楽史最大の音楽家の1人となった。

バッハ家は、ヨハン・セバスチャン・バッハから四代前の
十六世紀末から、息子たちの世代である十八世紀の末にいたるまで、
200年にわたり50人以上の音楽家を輩出している。

バッハの数多いオルガン曲のなかでも、もっとも有名な
「トッカータとフーガ・ニ短調」は、ピアノ曲や管弦楽曲に編曲されて
広く親しまれている。

一見自由奔放ともいえる激しい感情の起伏や、形式にこだわらない
自由な構成は、青年バッハの若々しい力と逞しい個性が躍如としている。

バッハの数多いオルガン曲のなかでも、もっとも有名なのは、
トッカータとフーガ ニ短調だろう。
ピアノや管弦楽に編曲されて、親しまれている。




《 複旋律音楽 》

【 フーガ ト短調 BWV578 】

 バッハは、オルガンのための独立したフーガを数曲書いている。
そのほとんど全てが、ワイマール時代(1708年〜1717年)
およびそれ以前の作である。

「ト短調フーガ」もそのひとつで、1709年ころに書かれている。
主題の美しさと流暢な書法を特徴とし、バッハのオルガン曲の
中でも、もっとも親しみやすいものの1つであり、
ストコフスキーの管弦楽編曲によっても広く知られている。

この曲は「ト短調の小フーガ」とも呼ばれているが、
それは、同じ調の「幻想曲とフーガ」(BWV542)の
「ト短調の大フーガ」と区別するためである。

フーガは、「遁走曲」(とんそうきょく)とか「追覆曲」と
訳されているが、初めの主題に応答するいくつかの旋律が
重なって、発展していく複旋律音楽。




《 壮麗な建築 》

【 パッサカリアとフーガハ短調BWV582 】

バッハは、宗教曲、室内楽、協奏曲などあらゆる
ジャンルにわたり、多くの傑作を作曲しているが、
その根底をなすのはオルガン音楽である。

今日知られているオルガン曲は250曲ほどあるが、
彼が一生のうちで、どれだけの曲を作曲したのかは
はっきりとは分からない。

現存するオルガン曲の大半は、バッハの自筆譜が
すでに消失していて、バッハ以外の誰か他の人がそれを
書き写した楽譜によって今に伝えられている。

誰も書き写さないまま自筆譜が消失してしまったり、
書き写した写譜が消失したものもある。

オルガン曲の「パッサカリアとフーガハ短調」は
1716年ころの作品とされる。
パッサカリアとは、主に低音で反復される固執主題にもとづく
変奏曲で、バロック音楽の一形式である。
バッハはこの形式では、この1曲しか書かなかった。

曲頭、遅めの3拍子8小節の低音主題が、ペダルのソロで奏され、
これに続いてこの主題にもとづく20の変奏で構成されている。

全体は数学的ともいえる構成で、強固な土台の上に構成される、
巨大で壮麗な建築を見る思いがすると表現する人もいる。

心に迫る感動を呼び起こすこの傑作は、後世になって編曲された
ものも多く、レスピーギ、ストコフスキー、オーマンディは
それぞれ管弦楽に、ケラーは2台のピアノ用に編曲している。




《 女性指揮者 》

【 平均率クラヴィーア曲集 BWV846-893 】

ブランジェ,ナディア 〔仏〕
(1887.09.16〜1979.10.22) 92歳

女性として初めてローマ大賞をうけたリリー・ブランジェの
6歳年上の姉のナディアは、パリで生まれた。
父のエルネストも1835年にローマ大賞を受賞している。

作曲家、オルガン奏者、教育者、初めての女性指揮者と
しても活躍した。
晩年は、モナコ公の礼拝堂の楽長をつとめた。
病弱の妹は24歳で世を去ったが、彼女は92歳と長寿だった。

ピアソラは、1954年にフランスに留学した折、ブランジェに
師事したが、彼女の助言により自らの音楽はタンゴであることを
認識し、ブラジルに帰国した。
コープランドやバーンスタインなど、多くの作曲家を育てた。

歌曲、ピアノ小品、オルガン曲、オペラなどの作品を
残しているが、妹リリーの才能を見て、作曲の筆を折り、
その後は生涯を教育に捧げた。

12歳のナディアが全て暗譜していたのが、バッハの
「平均律クラヴィーア曲集」で、「バッハは人生の良きパートナー」として、
音楽教師になってからもこの曲集をとり上げていた。

2巻ある曲集は各24曲からなり、第1巻は1722年に、
第2巻は、44年に完成した。
各曲は前奏曲とフーガから構成され、全ての長調と短調が
用いられている。




《 クラシック・ギター 》

【 無伴奏バイオリン・ソナタ 第4番 BWV1004(シャコンヌ ニ短調) 】

セゴビア,アンドレス 〔西〕
(1893.02.17〜1987.06.02) 94歳 

二十世紀最大のギター奏者のセゴビアは、
独学でギターを学び、16歳のときにグラナダでデビューし、
大好評だった。
23歳で初めて南米に演奏旅行を行ない、31歳でパリで大成功をし、
その後欧米各地で独奏会を開いた。
ホールでコンサートを開いた最初のギタリストで、今日の
クラシック・ギターの隆盛は、彼を抜きにしては考えられない。

セゴビアは94歳で世を去ったが、生前故郷のリナレスで
永遠の眠りにつくことを望んでいたものの遺骸は
マドリードの墓地に埋葬されていた。

それは、妻が彼の業績に相応しい施設を故郷のリナレス側に
要求したためだった。
十六世紀の宮殿を改装し、セゴビアの埋葬所と博物館を作り、
遺骸が移送されたのは、彼の死から15年後のことだった。

セゴビアは バッハその他のクラシックの曲を、
ギター独奏用に編曲しているが、バッハの
「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ短調」の第5楽章の
シャコンヌは「シャコンヌ・ニ短調」として、特に有名である。




《 パルティータ 》

【 無伴奏バイオリン・ソナタ 第6番 ホ長調 BWV1006 】

バッハは、ケーテン宮廷楽長としてレオポルト侯に仕えていた
1720年、35歳の頃バイオリン独奏のためのソナタを6曲作曲した。

            第1曲 ソナタ第1番 ト短調 VBW1001
            第2曲 パルティータ 第1番 ロ短調 VBW1002
            第3曲 ソナタ第2番 イ短調 VBW1003  
            第4曲 パルティータ 第2番 ニ短調 VBW1004
            第5曲 ソナタ第3番 ハ長調 VBW1005   
            第6曲 パルティータ 第3番 ホ長調 VBW1006

6曲のソナタは長く顧みられず、バッハの死後52年目の
1802年に初めて楽譜として出版された。
しかし、それもあまりひろまらず、1839年にダーヴィットが
再発見して、新たに出版してから広く演奏されるようになった。

演奏が困難な複音楽の部分が多いが、作曲当時の
楽器にとっては、無理なものではなかったようだ。

「無伴奏バイオリン・ソナタ 第6番」は、
「無伴奏バイオリンのためのパルティータ 第3番」とも
呼ばれるが、パルティータは17世紀の間は変奏曲と
同義だったが、18世紀のドイツにおいて
組曲(パルティータ)という意味に変化した。

「パルティータ 第3番」は、明るく軽快で、華麗な曲風を持っている。
バッハ自身この曲をかなり気に入っていたようで、
リュートのため(ハープ)の編曲も残している。

第3楽章の「ガボット」は、有名な旋律である。

               第1楽章 Preludio     
               第2楽章 Loure      
               第3楽章 Gavotte en Rondeau
               第4楽章 Menuet      
               第5楽章 Menuet      
               第6楽章 Bourree     
               第7楽章 Gigue