Schumann2
2−2
シューマン,ローベルト・アレクサンダー  〔ドイツ〕
(1810.06.08 〜 1856.07.29)  46歳  (精神錯乱)

           2−1
            
交響曲 第1番 変ロ長調 作品38
            交響曲 第2番 ハ長調 作品61
            
交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
            
交響曲 第4番 ニ短調 作品120
            ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
            【 バイオリン協奏曲 ニ短調(遺作)】
            【 チェロ協奏曲 イ短調 作品129 】
            【 「マンフレッド」序曲 作品115 】
           2−2
            【 ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44 】
            【 ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47 】
            【 ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品63 】
            【 バイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 】
            子供の情景 作品15
            クライスレリアーナ 作品16
            【 ユーゲント アルバム 作品68
            
「流浪の民」作品29-3
            【 歌曲集「ミルテの花」より 作品25
            【 歌曲集「女の愛と生涯」作品42 】
            【 歌曲集「詩人の恋」作品48 】





《 弦楽四重奏+ピアノ 》

【 ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44 】

「室内楽曲の年」といわれる1942年に作曲された「作品44」は、
弦楽四重奏にピアノを加えたという楽器編成をとり、
こうした形態の五重奏曲の中で、最もしばしば演奏され、
ひろく愛されているものの一つとなっている。

シューマン好みの変ホ長調で書かれていて、輝かしくまた、
入念に作られていながら、案外に親しみやすくわかりやすい。

全体の統一もよく、ピアノ的な楽想が支配的で、ピアノを
中心的な位置においているものの、五つの楽器のバランスが
いちじるしく乱れることも少しもない。
ロマン的な感情が溢れていて、構成も明快である。

シューマンは、初めて弦楽四重奏にピアノを組み合わせて
成功した作曲家といえる。

弦楽四重奏曲を書き上げた後、すぐにこの曲に着手し、
10月1日にこれを完成した。

その後、12月にメンデルゾーンがピアノを受け持って私的に試奏し、
メンデルスゾーンの忠告もあり、手を加えられた。
第2楽章のアジタートは、この忠告の結果生まれたものである。

力強く精力的で輝かしい第1主題で始まる第1楽章、
葬送行進曲風な第2楽章、音階風な第3楽章、壮大で力強い
第4楽章のこのピアノ五重奏曲は1843年1月8日に、
妻クララのピアノで、ゲヴァントハウスで初演された。




《 室内楽曲の年 》

【 ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47 】

シューマンが32歳の年の1842年は
「室内楽曲の年」といわれ、弦楽四重奏曲を3曲、
続いてピアノ五重奏曲、その後に書いたのが
ピアノ四重奏曲だった。

ピアノ五重奏曲とピアノ四重奏曲は、どちらも
シューマン好みの変ホ長調で書かれていて、ロマン的で
輝かしさをもった曲である。

            第1楽章 Sostenuto assai-Allgro ma non troppo
            第2楽章 Scherzo: Molto vivace      
            第3楽章 Andante cantabile       
            第4楽章 Finale: Vivace        




《 愛妻クララ 》

【 ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品63 】

 シューマンは、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための3重奏曲を
4曲書いているが、その中の1曲は「幻想小曲集」と
名づけられており、他の3曲が「ピアノ三重奏曲」で、
この第1番ニ短調が最もよく演奏されている。

「暗い気分のときに生まれた曲」とシューマンが言っているように、
シューマンの陰暗なロマン性が示され作曲上、楽想上からも、
健康的でなく、不健康で病的に錯雑したものが感じられる。

この曲の楽譜を手にしたクララは、日記に次のように書き留めている。
「この曲は、期待されるべき多くのものを、まだ持っている人によって
作られたかのように響く。これは極めて強烈であり、青年的な精力に
満ちていて、同時に極めて巨匠的に労作されている。
第1楽章は、私が知っている、最も愛情に満ちたものの1つを、
私の心に示している」

シューマンは、もうこのころには神経障害の兆候を時々見せていて、
クララもこのことをひそかに心配していたのだった。
それから7年後にライン川に身を投げ、その2年後に精神病院で
愛妻クララとブラームスに見守られながら46歳の若さで世を去っている。

この曲は、愛妻クララの28歳の誕生日の贈り物として作られたものである。
クララは、シューマンがピアノを教わっていたヴィークの娘で、
猛烈な反対にあい、シューマンが30歳、クララが21歳のときに、
やっと結婚をすることができた。

女流ピアニストの彼女は、夫シューマンの作品の良き解釈者であり、
後に14歳年下のブラームスの作品にも優れた解釈をなした。

シューマン亡き後、ブラームスはクララと子供たちに心からの
援助の手を差しのべた。
クララはピアニストとして演奏活動をしながら、音楽院でも教えていたが、
1896年3月脳卒中で倒れ、5月20日に76歳で世を去った。
ボンでの埋葬式にはブラームスが立ち会ったが、彼もまもなく病に倒れ、
翌年の4月3日に後を追うように生涯を終えた。

ブラームスは、クララに恋愛に近い感情を抱いた時期もあったが、
結局彼は誰とも結婚しなかった。




《 2つのバイオリン・ソナタ 》

【 バイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 】

シューマンは、バイオリン・ソナタを2曲残している。
どちらも1851年の作品で、精神障害の兆候がみられるが、
ピアノとバイオリンを巨匠的に活動させ、光彩を帯び、
詩的な抒情味があり、情熱的な感情もあってロマン的な
情緒を漂わせている。

第2番は、第1番の経験を生かし、規模が大きく、
全体として力強いものとなっていて、2つの楽器のバランスも
ずっと考慮されている。

大バイオリニストのヨアヒムが、指揮者の友人に宛てた手紙に
「気品のある情熱にあふれ、ほとんど荒々しく痛烈なほどの
表現をもち、その終楽章は、音の輝かしい波をもつ
海を思わせる」と書いている。

2つの「バイオリン・ソナタ」はシューマンが自殺をはかった年に、
ヨアヒムと妻のクララの二人の演奏で初演された。

精力的で情熱的な主部が暗示される序奏で始まる
第2番は4楽章からなる。




《 トロイメライ 》

【 子供の情景 作品15 】

  シューマンが20歳のときに、ピアノ教師の娘クララと
激しい恋におちたが、クララの父親の反対にあい、
結婚したのは30歳になってからだった。

クララは帝室名演奏家の称号を受けた女流ピアニストとして
活躍していたが、シューマンの作品の良き理解者だった。

シューマンの死後は子供と母とともに住み、ピアニストとして
演奏活動をしながら、音楽院でも教えていた。

シューマンがピアノ曲「子供の情景」を完成させたのは、
クララと結婚する前の1838年だった。

この年の3月17日付のクララに宛てた手紙に「もう一度
少年時代の気持ちになって30ばかり小曲を書きその中から
12ばかりを選んでそれに「子供の情景」という題をつけた・・・」
と書かれていたが、後に「親が、昔を思い出して、成長した
子供に与えたもので・・・」と友人に宛てた手紙に書いている。

楽譜を出版するときに1曲加えて、全13曲からなる小品集とした。
第7曲の「トロイメライ」は、バイオリンや、チェロ用に
編曲されて親しまれているので、もっとも有名な曲である。

第1曲ー知らない国々     
第2曲ー珍しいお話      
第3曲ー鬼ごっこ       
第4曲ーおねだりをする子供  
第5曲ー満足         
第6曲ー大変なこと      
第7曲ートロイメライ     
第8曲ー炉端         
第9曲ー竹馬の騎士      
第10曲ーむきになって    
第11曲ーびっくりさせる   
第12曲ー眠る子供第     
第13曲ー詩人のお話し    




《 音楽新報 》

【 クライスレリアーナ 作品16 】

 ホフマン,エルンスト・テーオドル・アマデウス〔独〕
(1776.01.24〜1822.06.25) 46歳

ドイツの浪漫派作家、作曲家のホフマンは、1776年1月24日に
ケーニヒスベルクで生まれた。
彼の第3洗礼名はヴィルヘルムだったが、モーツアルトを
愛するあまり、自らアマデウスに変えた。

法律を学び、陪席判事をしていたが、その間音楽も学んでいた。
後にベンベルクの劇場の音楽監督を振出しに、オペラの
指揮者としても活躍した。

数多くのオペラ、バレエ音楽、宗教音楽、交響曲、
ピアノ曲などを残しているが、あまり知られていない。

幻想的な物語の作者として、ドイツ文学のロマン派に
強い影響を与えたが、作曲家としては技術の点からみて、
ようやく合格点に達する程度だった。

生粋のロマン主義者、役人で音楽家で小説家で画家でも
あったが、音楽評論家として筆名「ヨハネス・クライスラー楽長」を
用い「音楽新報」に寄稿していた。

一方シューマンは、父が自らも著述をした書籍商だった
こともあり、文学に対して深く興味を持っていた。

ピアノの道に進むべくピアノのレッスンを受けていた
シューマンだったが、右手の薬指を痛めピアニストに
なることを断念し、24歳のときに音楽批評の仕事を始め、
音楽雑誌[音楽新報]を創刊した。

自由な新しい音楽を強力に指示し、音楽論文や音楽批評を
書き、ショパンやメンデルスゾーン、ブラームス、
ベルリオーズなどを世に紹介した。

シューマンが28歳のときに作曲したピアノ組曲
「クライスレリアーナ」は、彼が大いに共感を覚えていた
ホフマンの筆名からとっている。

第1曲から終曲までの8曲からなるピアノ組曲で、
ショパンに献呈された。




《子どものために 》

【 ユーゲント アルバム 作品68 】

シューマンの初期の作品は、ほとんどがピアノ曲だったが、
30歳のときにクララと結婚してからは、あらゆる分野の作品を書いた。

シューマンは男女4人ずつ8人の子どもをもうけたが、
子どもたちを大変可愛がり、深い愛情を注いだ。

7歳になった長女マリーの誕生日のために書いたのが
ピアノ曲集「ユーゲント アルバム」で、43曲の
可憐な小曲が集められている。

作品15の「子供の情景」は、親が自分の子供の頃を
回想して、成長した子どもに与えたもの。
作品68は子どものために将来をのぞこうというものである。

「喜んでピアノをひくこどもたちのクリスマスのアルバム」
ともいい、子どもに弾けるように技術的にやさしいものだが、
珠玉のような極めて短い名曲が集められている。

第1曲  メロディ             
第2曲  兵士の行進            
第3曲  はなうた             
第4曲  コラール             
第5曲  小曲               
第6曲  あわれな孤児           
第7曲  狩りの歌             
第8曲  乱暴な旗手            
第9曲  小さな民謡            
第10曲 楽しき農夫            
第11曲 シチリア風に           
第12曲 サンタクロースのおじいさん    
第13曲 愛しい五月よ、お前はまたやってきた
第14曲 小さな練習曲           
第15曲 春の歌              
第16曲 最初の悲しみ           
第17曲 朝の散歩             
第18曲 草刈り歌             
第19曲 小さなロマンツェ         
第20曲 田舎ふうな歌           
第21曲 ★★★              
第22曲 ロンド              
第23曲 曲馬               
第24曲 収穫の歌             
第25曲 劇場からのひびき         
第26曲 ★★★              
第27曲 カノンふうの歌          
第28曲 追憶               
第29曲 他国の人             
第30曲 ★★★              
第31曲 戦争の歌             
第32曲 シェラザード           
第33曲 ぶどう摘みの歌ー嬉しい時!    
第34曲 テーマ              
第35曲 ミニョン             
第36曲 イタリア水夫の歌         
第37曲 水夫の歌             
第38曲 冬期1              
第39曲 冬期2              
第40曲 ちいさなフーガ          
第41曲 ノルウェーの歌          
第42曲 装飾されたコラール        
第43曲 大晦日の歌            




《 合唱曲 》

【「流浪の民」作品29-3 】 

 シューマンは幼いころからピアノを習い、11歳のころから
作曲もしていた。
20歳のときにパガニーニの演奏を聴いて、ピアノの道に
進むことを決心し、本格的にピアノのレッスンを受けたが、
指を強くするために自分で考えだした機械で右手の薬指を痛め、
ピアニストになることを諦めなくてはならなくなった。

その後は、作曲家として数々の作品を作曲したが、
合唱団の指揮者としても力を尽くした。
「歌曲の年」といわれた1840年には、100曲以上の
歌曲が作られている。

「流浪の民」もその年の作品だが、ピアノ伴奏をもつ多声部の
ための歌曲集の第3曲にあたる。
ジプシーの一夜の宿泊を描くガイベルの詩に付曲したもので、
シューマンの合唱曲として最も初期のものである。
原曲は女性合唱のためのものであるが、
混声合唱でも歌われている。

ピアノ伴奏の他に、ジプシーの情緒をだすため、任意の指定で、
トライアングルとタンブリンを加えてもいいことになっている。

色彩的な幻想曲でありながら、活気にあふれた
旋律をもっている魅力的な曲である。




《 クララへの愛 》

【 歌曲集「ミルテの花」より 作品25 】

1840年は「歌の年」といわれ、シューマンの重要な歌曲は
ほとんどこの年に作られ、その数は100曲以上におよんでいる。

強く刺激を与え、原動力を与えたのはクララへの愛で、
彼の歌曲集は、彼の恋の日記のようなものだった。

その年の9月12日には、クララと結婚式をあげているが、
前日の9月11日にクララに捧げられたのが、
この歌曲集である。

歌曲集「ミルテの花」は、クララとの結婚を想いつつ
2月にライプチヒで書かれたもので、26曲からなる。

歌詞は、ゲーテ、リュッケルト、バイロン、ムーア、
ハイネ、バーンズ、モーゼンの作からとられている。
全体には一貫した思想もなく、各曲間に音楽的な関連もないが、
抒情的で恋愛に関係のある歌となっている。

ピアノ伴奏の扱い方、全体の抒情性、民謡風な
親しみやすさ、語るような旋律の運びなど、
シューマンの特徴がみられる、

ミルテの花は、長春樹とか天人花、桃金嬢などと訳される花で、
香り高い白い花を咲かせ、花嫁の装飾に使われ、
純潔をあらわす。

第1曲  献呈 (リュッケルト)     
第3曲  くるみの木 (モーゼン)    
第7曲  はすの花 (ハイネ)      
第8曲  おまもり (ゲーテ)      
第18曲 広場を風が (ムーア)     
第24曲 君は花のごと (ハイネ)    
第25曲 東方のばらより (リュッケルト)




 《歌の年》

【 歌曲集「女の愛と生涯」作品42 】

 「女の愛と生涯」の歌曲集は、「詩人の恋」と同様、
 まとめて歌われることが多い。
 全8曲が歌詞のうえでも、また音楽のうえでも、
 非常に密接なつながりを持っている。

 歌詞はシャミッソーの作で、娘時代の恋慕の情から始まり、
 結婚、出産、そして夫に先立たれる女性の生涯をとりあげ、
 ひたすらな愛に生きる女性の心理をとらえたものである。

 第1曲「あの人に会ってから」          
 第2曲「だれにもまさる君」           
 第3曲「私にはわからない」           
 第4曲「この指にさした指輪よ」         
 第5曲「友よ、手をかして」           
 第6曲「やさしい君よ、いぶかりの目で」     
 第7曲「胸に抱いて」              
 第8曲「いま君ははじめての悲しみを私にあたえた」



いま君ははじめての悲しみを私にあたえた

 あなたはいまはじめて私に悲しみをあたえた
 はじめてでもそれは深傷でした
 あなたは眠っている
 死の眠りにはいってしまうとはひどい方です
 残された私には世はうつろです
 私は愛し、生きてきました
 でも、もう生きた屍です
 私は自分の心の中に静かにこもって
 ヴェールをかぶりましょう
 その中にあなたを抱き、失われた幸福を求めましょう
 あなたは私のすべてなのです




《 美しい五月 》

【 歌曲集「詩人の恋」作品48 】

「詩人の恋」は、シューマンの歌曲集の中で最高位を
占めるべき作品であり、彼の歌曲の集大成ともいえる。

16曲からなり、6曲までは愛の歓びを、7曲目から
14曲目までは失恋のいたみを、最後の2曲は過ぎ去った
青春へのはかない郷愁を描いている。

詩はハイネの「歌の本」の中の「抒情挿曲」からとられている。

「詩人の恋」 の歌曲集は、「女の愛と生涯」と同様
まとめて歌われることが多い。

第 1曲 美しい五月          
第 2曲 私の涙から          
第 3曲 ばらに、ゆりに、はとに    
第 4曲 君のひとみを見つめるとき   
第 5曲 私の魂をひたそう       
第 6曲 神聖なラインの流れに     
第 7曲 私は嘆くまい         
第 8曲 花が知ったなら        
第 9曲 鳴るのはフルートとヴァイオリン
第10曲 恋人の歌を聞くとき      
第11曲 若者は乙女を愛し       
第12曲 あかるい夏の朝に       
第13曲 夢の中で私は泣いた      
第14曲 夜ごとの夢に         
第15曲 昔話の中から         
第16曲 いまわしい想い出の歌     



美しい五月

すべての花が 開くとき 
私の心の中には 愛が芽生えてきた
美しい五月
すべての小鳥が うたうとき
私はあの人に 
私の心の中を とうとううちあけた