《 戦争ソナタ 》
【 ピアノ・ソナタ 第6番 作品82 】
有能なピアニストだったプロコフィエフは、生涯に多くの
ピアノ作品を作曲していてピアノ・ソナタは、9曲の作品を残している。
(未完成、習作を除く)
ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品1(1909年)
ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 作品14(1912年)
ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 作品28(1917年)
ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 作品29(1917年)
ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 作品38(1923年)
ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 作品82(1940年)
ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ調 作品83(1943年)
ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ調 作品84(1944年)
ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 作品108(1947年)
ピアノ・ソナタ 第10番 ホ短調 作品137(1953年、未完)
第1番は10代の作品で、習作の域をでないもの。
第2番、第3番、第4番は青年期の楽天的なダイナリズムとナイーブな
感情的表現を合わせ持った作風の特徴が端的にあらわれている。
第5番は過渡期のパリ時代の作品で、1952年に手を加えられている。
第6番、第7番、第8番の3曲は、独ソ戦の最中に次々と完成されたため、
「戦争ソナタ」の通称で呼ばれることがある。
生涯の中で最も充実した時期の作品となっている。
第9番は戦後の作品で、晩年の作風への移行がみられる。
「ピアノ・ソナタ 第6番」は、3曲の戦争ソナタの中で、唯一4楽章形式で
書かれていて、規模の大きな作品で、作曲の年の1月8日、
モスクワでプロコフィエフ自身のピアノにより、初演された。
第1楽章 Allgro moderato
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Tempo di valzer lentissimo
第4楽章 Vivace
《 最高傑作 》
【 ピアノ・ソナタ 第7番 作品83 】
1939年に着手し、1943年に完成した「ピアノ・ソナタ 第7番」は、
現代のピアノ音楽の最高傑作の一つである。
生涯の中で最も充実した時期の作品である
「戦争ソナタ」(第6番、第7番、第8番)のうちの一曲だが、
青年期からのプロコフィエフのダイナミズムが、
ここでは一音の無駄もなく極度に圧縮され、剛鉄のような強靱さと、
とぎすまされた構成美となっている。
1943年1月18日、モスクワでスヴァトスラフ・リヒテルにより、
初演されたが、プロコフィエフが初演を
初めて他のピアニストに託した作品である。
第1楽章 Allgro inquieto
第2楽章 Andante caloroso
第3楽章 Precipitato

《 抒情的 》
【 ピアノ・ソナタ 第8番 作品84 】
1939年から1944年にかけて作曲された3つの「戦争ソナタ」の中の
最後の作品が第8番である。
第7番が厳しい構成美を持ち、かなり無調的でもあるのに比べて
「第8番」は、抒情的でマイルドであり、
晩年にみせたような響きを強くもっている。
1944年12月30日にピアニストの
エミール・ギレリスによってモスクワで初演され、
プロコフィエフの妻のミーラ・メンデルソンに献呈している。
第1楽章 Andante dolce
第2楽章 Andante sognendo
第3楽章 Vivace
《 唯一のチェロ・ソナタ 》
【 チェロ・ソナタ ハ長調 作品 119 】
1948年初頭から死去まで5年間のプロコフィエフの晩年は、
ほとんど病床にあった。
ピアノも弾かず、電話にもでず、医師の許可した
1日1時間だけの作曲の日課を守っていた。
そんな中でも、プロコフィエフの創作意欲は衰えず、
十数曲の作品を書いた。
この時期の最初の作品がこの「作品119」で、
彼の唯一の「チェロ・ソナタ」である。
晩年の特徴である、極度の単純さと形式の古典的連続性のなかに、
豊かな旋律による叙述を組み立ててゆく作風があらわれている。
チェロの温かい歌唱、広い音域にわたる豊かな色彩と名人的技巧が
卓越した表現をえていて、それにピアノが対話的に書かれている。
彼はこの曲を書いた後、チェロに対する関心が強まり、
数曲を構想したが、全て未完成に終わった。
名チェリストのロストロポーヴィチの協力をえて作曲した
「チェロ・ソナタ」は、1949年の春に完成し、
暮にはロストロポーヴィチのチェロ、リヒテルのピアノで初演された。
その演奏を聴いたミャスコフスキーの日記には
「第一級の驚くべき作品」と書かれていた。
